「絆の大切さ」千葉かよ子さん(伊1)
今から21年前、突然の激しい揺れは約20秒続き、あの恐ろしい阪神大震災で私も被災した一人でした。家は半壊。当麻の父に生きていることをすぐに電話した後、連絡は取れなくなりました。その頃、勤務で尼崎にあった西武塚新店に勤務していた私は、電車2本とバスを乗り継いだ西宮に住んでいました。西宮はあの甲子園球場がある市で、被害が特にひどかった神戸、芦屋の隣。3日目からは、朝早く防寒着にリュックを背負い歩いて電車が動いている駅まで行き、なんとか会社に行きましたが、帰りは瓦礫の横を通るのが怖くて、悲しくてという毎日でした。電気、水、ガスがストップしていて、化粧なし、コンタクトなし、髪もボサボサというありさまでしたが、幸い近くに学校があり、電気だけは程なくつき、風呂は小学校のグラウンドに自衛隊のテントが設営され、そこに入りに行きました。驚いたことにその隊は旭川の第2師団の方々で、誇らしく、頼もしかったのを覚えています。そんな中、一番忘れられないのが、新聞で知ったホームステイの現地スタッフとしての手伝い。旭川西神楽で21名の小学生が約1カ月農村体験をしたのです。自転車でチラシを配り、説明し、出発の朝、関空までの引率、11年後、その中の1人が結婚の報告に旭川へ。私も駆け付けました。うれしかったですね。絆をしみじみ感じました。西宮では、近所付き合いがほとんどありませんでした。あの地震の朝までお向かいがドイツの方だと知らなかったくらいです。でも地震直後、ライフラインが切断された時、人々は絆に支えられたそうです。家族の、友達の、地縁の、社縁という絆。絆が再認識され、再構築され、私みたいな田舎者にとっては当たり前の、近所付き合いが大きくクローズアップされた出来事でした。その点、当麻は大丈夫。あとは防災に関する心掛け、知識です。大切な命を守るため、日頃からの心掛けが必要、そして実行しましょう。もちろん近所付き合いも忘れずに。
(2016年9月号・広報とうま掲載文より・第113回エッセー)
(2016年9月号・広報とうま掲載文より・第113回エッセー)