「ひとり言」 大野直之さん(4西3)
私の趣味のひとつは川柳を作ることだ。川柳に手を染めてから、かれこれ四〇数年が過ぎる。
今川柳は、多種多様に盛んである。川柳がブームだと言われているが、新聞や雑誌などのマスコミの川柳欄に加えてサラリーマン川柳や、ビジネス川柳など、俳句よりも自分の思いが、できる所に魅力を感じる人が年毎に増えてきたのだと思う。しかも自由に謳歌している時代と言っていい。
川柳をやってみたいけれど今からでは遅すぎる、もう歳も歳だから…身体は一年経てば一年老いていく。それは自然の理で誰もが避けられないものだが人間は歳ではなく、人生の若々しさ、人の命の遵さや精神力のすばらしさを川柳に表現し、人に感動を与える事ができるのが川柳でもある。たとえ七〇歳でも八〇歳であろうと、夢があるかぎりそしてチャレンジ精神があるかぎり失われることはないと思う。そのお手本となる方が昨年の全国誌上大会でその方はなんと九九歳で大賞を頂いている。驚くより頭が下がり目頭が熱くなった。句を紹介しよう。
-にぎやかな窓だ家族が干してある-
川柳をつづけてきて良かった。新たな柳人との出会いもさることながら、大会毎の再会というドラマがさらに絆を深くしてゆく。スタッフのあふれる笑顔、句会特有の親しみ感、誰もがライバル意識のようなものが隅々までみなぎっている。私は大会が好きで家族に引率されながらの全国大会連続出場九回目を迎える年でもある。
これからも人生に広がりや豊かさを求めながら、たかが川柳、されど川柳、のめり込むほどに奥の深さに悩み、つまづきながらの毎日だが、人間歳ではないを心の盾として、自分にとって川柳は何かを求めながら自分らしい川柳をめざし本当の自分の世界を作っていく、そして判ってもらえる川柳へと精進していきたい。
少し前だが全国大会でつづけてすばらしい賞を頂いた事がある。世の中に偶然という名の女神がいると言う、あまり間をおかずにときおり訪れてくれる日を今日も待っている。
これが「ほんとうの」わたしのひとり言である。
(2015年5月号・広報とうま掲載文より・第98回エッセー)
今川柳は、多種多様に盛んである。川柳がブームだと言われているが、新聞や雑誌などのマスコミの川柳欄に加えてサラリーマン川柳や、ビジネス川柳など、俳句よりも自分の思いが、できる所に魅力を感じる人が年毎に増えてきたのだと思う。しかも自由に謳歌している時代と言っていい。
川柳をやってみたいけれど今からでは遅すぎる、もう歳も歳だから…身体は一年経てば一年老いていく。それは自然の理で誰もが避けられないものだが人間は歳ではなく、人生の若々しさ、人の命の遵さや精神力のすばらしさを川柳に表現し、人に感動を与える事ができるのが川柳でもある。たとえ七〇歳でも八〇歳であろうと、夢があるかぎりそしてチャレンジ精神があるかぎり失われることはないと思う。そのお手本となる方が昨年の全国誌上大会でその方はなんと九九歳で大賞を頂いている。驚くより頭が下がり目頭が熱くなった。句を紹介しよう。
-にぎやかな窓だ家族が干してある-
川柳をつづけてきて良かった。新たな柳人との出会いもさることながら、大会毎の再会というドラマがさらに絆を深くしてゆく。スタッフのあふれる笑顔、句会特有の親しみ感、誰もがライバル意識のようなものが隅々までみなぎっている。私は大会が好きで家族に引率されながらの全国大会連続出場九回目を迎える年でもある。
これからも人生に広がりや豊かさを求めながら、たかが川柳、されど川柳、のめり込むほどに奥の深さに悩み、つまづきながらの毎日だが、人間歳ではないを心の盾として、自分にとって川柳は何かを求めながら自分らしい川柳をめざし本当の自分の世界を作っていく、そして判ってもらえる川柳へと精進していきたい。
少し前だが全国大会でつづけてすばらしい賞を頂いた事がある。世の中に偶然という名の女神がいると言う、あまり間をおかずにときおり訪れてくれる日を今日も待っている。
これが「ほんとうの」わたしのひとり言である。
(2015年5月号・広報とうま掲載文より・第98回エッセー)