「大切な仲間の存在」 井上 晴菜 さん(東 1)
私は今年の春、旭南高に入学した。中学校に入学する時とは違って、皆初めて会う人ばかり。全く違う環境で無事に過ごしていけるのか、不安で仕方がなかった。
勉強についていけるのかということも不安だったが、一番の不安は「友達ができるか」ということだった。
私の考える友達は、中学時代の友達のように、たくさん喧嘩して、たくさん泣いたり笑ったり……。友達というよりは”仲間”という存在。中学時代の友達は「仲間」である。高校に入ってから仲間と呼べる人はできるのか、すごく不安だった。
高校に入ってから友達はたくさんできたが、仲間と呼べるほどではない。まぁ、そんな簡単に仲間と呼べる人なんてできるわけないか、とも思った。
でも、仲間と呼べる人がいることに気づいた。それは部活仲間。入学して半年たった今、とても大切な存在となっている。やっぱり、一緒にいたら落ち着くし、安心できるし、支え合える。
中学時代の仲間と、今の部活仲間。私にとってどちらも変わらないくらいとても大切な存在。例えあまり会えなくても、お互い傷つくようなことがあっても、それでも仲間なのは変わらないよ、これからもずっと。
とても大切で、とても大好きな仲間の存在があるから、今日も私は頑張れる。
いつも本当に本当にありがとうっ!!
(2011年新春号・広報とうま掲載文より・第50回エッセー)
勉強についていけるのかということも不安だったが、一番の不安は「友達ができるか」ということだった。
私の考える友達は、中学時代の友達のように、たくさん喧嘩して、たくさん泣いたり笑ったり……。友達というよりは”仲間”という存在。中学時代の友達は「仲間」である。高校に入ってから仲間と呼べる人はできるのか、すごく不安だった。
高校に入ってから友達はたくさんできたが、仲間と呼べるほどではない。まぁ、そんな簡単に仲間と呼べる人なんてできるわけないか、とも思った。
でも、仲間と呼べる人がいることに気づいた。それは部活仲間。入学して半年たった今、とても大切な存在となっている。やっぱり、一緒にいたら落ち着くし、安心できるし、支え合える。
中学時代の仲間と、今の部活仲間。私にとってどちらも変わらないくらいとても大切な存在。例えあまり会えなくても、お互い傷つくようなことがあっても、それでも仲間なのは変わらないよ、これからもずっと。
とても大切で、とても大好きな仲間の存在があるから、今日も私は頑張れる。
いつも本当に本当にありがとうっ!!
(2011年新春号・広報とうま掲載文より・第50回エッセー)