「中学校生活を振り返って」 水野 佑亮 さん (4西3)
私が当麻中学校を卒業してから数年がたちますが、最近北海道外から帰省してくる友人に会う機会があり、ふと中学校生活が懐かしくなりました。美化された思い出話になりますがこの場をかりてお話したいと思います。
私が当麻町立当麻中学校に入学したのは、9年前の4月のことでした。正直なところ小学校の頃とほぼメンバーは変わらず、小学校のころから続けていた野球少年団の先輩と会うのが久しぶりだなあ、と思う程度だったような気がします。しかし、新しい環境での生活に多少ながらワクワクしていたのも事実かもしれません。クラスは2組になり、途中でクラス替えもありましたが、ずっと2組で担任も変わらなかったと思います。
確かではありませんが、私たちの代の学年の人数は、60人程度だと記憶しています。他の中学校と比べると遥かに少ない人数ではありました。その環境の中で、怒られ泣きながら練習した合唱や、担任の先生と相談し一緒に練習に励んだ体育大会、みんなで意見を出しあって成功させた学校祭。少人数でもアイディアを出し合って頑張った部活動。人数が少ないからこそ得られたものであったと今となっては感じています。
この文章を書いているうちに、たくさん思い出がよみがえってきましたが、紙幅がつきてしまいました。最後までおつきあいくださり、ありがとうございました。
(2013年2月号・広報とうま掲載文より・第73回エッセー)
私が当麻町立当麻中学校に入学したのは、9年前の4月のことでした。正直なところ小学校の頃とほぼメンバーは変わらず、小学校のころから続けていた野球少年団の先輩と会うのが久しぶりだなあ、と思う程度だったような気がします。しかし、新しい環境での生活に多少ながらワクワクしていたのも事実かもしれません。クラスは2組になり、途中でクラス替えもありましたが、ずっと2組で担任も変わらなかったと思います。
確かではありませんが、私たちの代の学年の人数は、60人程度だと記憶しています。他の中学校と比べると遥かに少ない人数ではありました。その環境の中で、怒られ泣きながら練習した合唱や、担任の先生と相談し一緒に練習に励んだ体育大会、みんなで意見を出しあって成功させた学校祭。少人数でもアイディアを出し合って頑張った部活動。人数が少ないからこそ得られたものであったと今となっては感じています。
この文章を書いているうちに、たくさん思い出がよみがえってきましたが、紙幅がつきてしまいました。最後までおつきあいくださり、ありがとうございました。
(2013年2月号・広報とうま掲載文より・第73回エッセー)