「父の思い出」 今橋祐美さん(伊1)
私の父は、自分の考えを曲げず頑固で、どこかに出掛けることなく仕事が趣味のような性格でした。その反面、とても器用な所もありました。
昔家に温室があった所にひとつの部屋を作ったのです。これには、ただただビックリするばかり~。
そんな父ですが、少しでも具合が悪いとすぐに病院に行っていました。なのに急に、歩けなくなり誤えん肺炎になり平成二十九年七月十日に眠るように、八十三年の生涯に幕を閉じました。
もう少し生きてくれると信じてたので寂しい気持ちでいっぱいでした。
今、思い出すと家で豆の作業をしているさなか眠くなる時があって話しかけてもダメで、最後の手段として冷凍庫から、冷えピタを持ってきて貼ってたことを脳裏に浮びます。
今現在、母と二人で作業していますが、もうひとり手がほしいことがありこんな時に父の手が借りたくなった時、空に向かって叫んでいました。
「早く来て手伝って~」(笑)
そして我が家の命日が不思議なのです。祖父が私の娘の誕生日に、祖母が私の弟の誕生日、父が当麻神社祭です。とってもわかりやすいですよね。絶対忘れることはできないで
すよね。
これからも父の思い出を胸に母と共に過ごして行くので見守ってほしいと節に願ってるこの頃です。
(2019年9月号・広報とうま掲載文より・第146回エッセー)
昔家に温室があった所にひとつの部屋を作ったのです。これには、ただただビックリするばかり~。
そんな父ですが、少しでも具合が悪いとすぐに病院に行っていました。なのに急に、歩けなくなり誤えん肺炎になり平成二十九年七月十日に眠るように、八十三年の生涯に幕を閉じました。
もう少し生きてくれると信じてたので寂しい気持ちでいっぱいでした。
今、思い出すと家で豆の作業をしているさなか眠くなる時があって話しかけてもダメで、最後の手段として冷凍庫から、冷えピタを持ってきて貼ってたことを脳裏に浮びます。
今現在、母と二人で作業していますが、もうひとり手がほしいことがありこんな時に父の手が借りたくなった時、空に向かって叫んでいました。
「早く来て手伝って~」(笑)
そして我が家の命日が不思議なのです。祖父が私の娘の誕生日に、祖母が私の弟の誕生日、父が当麻神社祭です。とってもわかりやすいですよね。絶対忘れることはできないで
すよね。
これからも父の思い出を胸に母と共に過ごして行くので見守ってほしいと節に願ってるこの頃です。
(2019年9月号・広報とうま掲載文より・第146回エッセー)