「私の仕事遍歴」 原口義教さん(中3)
いよいよ新元号「令和」の幕開けである。新しい時代に誰もが期待に胸を膨らませる中、気づけば私自身、還暦と言う節目の年を迎えることになる。年々時間の過ぎ去りが加速を増し、いつの間にか定年が目前に迫る。
見た目に若さがあると自負するも、近頃階段でよくつまずき、鏡を見れば眉毛に白髪、ハズキルーペが欲しくなってきた今日この頃である。
これまで平々凡々の私の生き方で、特筆すべきことも見当たらないが、しいて言えば二度の転職と失業を経験していることか。
学校も行かずバイトづけの大学生活、親から無償の愛を受けつつも親の心子知らず、どこか社会勉強と言い訳し、留年寸前でどうにか卒業、時計卸業界で社会人デビューする。初々しくも緊張感満載の時分を思い出す。よく怒られもしたが腐ることなく辛抱、業績もついて来ると面白味を覚えるが不満も見えてくる。そんな折、大学の先輩が勤める外資系洋酒メーカーへの甘い誘い、隣の芝生は実によく見えるもの、当時はバブリーに浮かれており、後ろ髪を引かれつつも転職を決意する。
入ってみれば、一長一短、それはそれで結構厳しく世の中そんなに甘くない事を知る。10年経過したある日、会社から突然解散を告げられ、38歳で初めて失業の不安と虚しさを味わう事になる。1年後、声をかけられた農協で営業経験を活かし、臨時での仕事で必死に取り組んだ。有難い事にやがて職員採用、現在に至る。
仕事で思うことは、少しの努力と熱意、大事は人への心配り、一人仕事はたかが知れている、楽な仕事はどこにもない中でやりがいと楽しみをどう見つけるか、そんな気がするのである。
振り返れば人には恵まれた。その支えがあったから今があるとつくづく感じるのである。このエッセイを通じ全てに感謝の気持ちを伝えたい。
(2019年5月号・広報とうま掲載文より・第142回エッセー)
見た目に若さがあると自負するも、近頃階段でよくつまずき、鏡を見れば眉毛に白髪、ハズキルーペが欲しくなってきた今日この頃である。
これまで平々凡々の私の生き方で、特筆すべきことも見当たらないが、しいて言えば二度の転職と失業を経験していることか。
学校も行かずバイトづけの大学生活、親から無償の愛を受けつつも親の心子知らず、どこか社会勉強と言い訳し、留年寸前でどうにか卒業、時計卸業界で社会人デビューする。初々しくも緊張感満載の時分を思い出す。よく怒られもしたが腐ることなく辛抱、業績もついて来ると面白味を覚えるが不満も見えてくる。そんな折、大学の先輩が勤める外資系洋酒メーカーへの甘い誘い、隣の芝生は実によく見えるもの、当時はバブリーに浮かれており、後ろ髪を引かれつつも転職を決意する。
入ってみれば、一長一短、それはそれで結構厳しく世の中そんなに甘くない事を知る。10年経過したある日、会社から突然解散を告げられ、38歳で初めて失業の不安と虚しさを味わう事になる。1年後、声をかけられた農協で営業経験を活かし、臨時での仕事で必死に取り組んだ。有難い事にやがて職員採用、現在に至る。
仕事で思うことは、少しの努力と熱意、大事は人への心配り、一人仕事はたかが知れている、楽な仕事はどこにもない中でやりがいと楽しみをどう見つけるか、そんな気がするのである。
振り返れば人には恵まれた。その支えがあったから今があるとつくづく感じるのである。このエッセイを通じ全てに感謝の気持ちを伝えたい。
(2019年5月号・広報とうま掲載文より・第142回エッセー)