『当麻町で新規就農された先輩から、後輩へのメッセージ』

インタビュー企画 PART1  (平成23年8月掲載)

『当麻町で新規就農された先輩から、後輩へのメッセージ』

 福山 憲昭さん ≪昭和59年就農≫
「夫唱婦随が、今や婦唱夫随になりました」妻の景子さんと共に

■ふくやま・のりあき■
昭和26年、三重県生まれ。法政大学社会学部卒。東京の出版社勤務の後、旭川市での研修を経て昭和59年に新規就農。平成元年には当麻町に居を構え、有機農場「ハーベストガーデン福山」を開設。1.2haの圃場で少量多品種の野菜を有機栽培する経営を確立し現在に至る。その間、北海道農業担い手育成センター(現、公共財団法人北海道農業公社)の新規就農アドバイザー、当麻町の新規就農相談員を務める傍ら、道内外から50名を超える農業研修生を受け入れ、北海道農業を担う数多くの人材を育成。また、広く国内においては、平成11年に農林水産省所管「有機食品の検査認証制度実施要綱検討委員会」の委員に着任。改正JAS法における有機認証制度の法的枠組み作りに参画。さらに同年、北海道では初となる有機食品の検査・認証機関、「NPO法人北海道有機認証協会」の立ち上げに中心メンバーとして参画し常勤の事務局長に就任、有機認証制度の実務に携わる一方各地を奔走し同制度の普及に先導的役割を果たした。平成22年には長年にわたる農業・農村振興の功労から北海道産業貢献賞を受賞。3人いる子どもは既に独立し現在は妻の景子さんと二人暮らし。

■エピローグ(序章)~人と自然に魅せられ、北海道へ

 就農を志したのは30歳の時。当時、私は東京の学習教材の出版社に勤務していて、夫婦共稼ぎのサラリーマンでした。今はもう独立してそれぞれ家庭を持つ子どもたちも、一番手のかかる5歳、3歳、1歳と3人いて、仕事・子育てに奮闘中といった頃です。
 仕事にやりがいを感じていたし、経済的には満たされた日々を過ごしていたけれど、子どもの寝顔を見るだけの生活に「これで良いのだろうか」と自問自答し始めていた頃でもありました。そんな時に、教育の現場回りで北海道へ出張することになったのです。
 初めて見る空気が澄んだ3月の北海道、あの明るさとにおいは未だ忘れませんね。富良野の農村地域の小学校に行った時、そこで見た、子どもたちのいきいきとした笑顔、開拓者精神を感じさせる地域の大人たち、そのまわりの大自然。都会で生活していた私には別世界で、まずは北海道に一目惚れしてしまったんですね。
 電車に揺られ、あくせく暮らしている自分とは違う、人間的な生き方をしている人たちがいるということが、とにもかくにもショックで、私も、彼らのように、空間と空気を共有して家族で生きていきたいなぁと。
 それでも最初に思い立つのは、どうお金を稼ぎ家族を養うかです。そこで出した答えが、自然とともに仕事も子育てもというのが大前提にありましたから、「農業をやろう」ということだったのですね。また、子どもを野放しにしたかったので、手間がかかっても安心安全な有機農業でということを考えました。
 今では若い就農希望者に「農業を甘く見るな」とか、軽く言いますけど、かく言う私自身が若気のいたりだったのですね。
 ただ、当時、千葉県の農家さんから農作物の共同購入をして色々な話を聞いてましたから、憧れだけでは食べていけないのは分かっていたつもりでしたし、農業収益の仮想の計算をして、頑張れば大稼ぎはできなくとも、家族5人を養っていくことはできるだろうという結論になったのです。東京に飛んで帰って、妻にそれらのことを伝えると、意外にも二つ返事で私の思いに賛成してくれました。
 資金は、3年間で営農の目途が立たなければダメだと考えていたので、3年間無収入でも家族5人が食べられるサラリーマン時代の貯えはありました。
 結局、その年の秋に会社をやめて、翌年4月に北海道旭川市内の農家に研修で入り、さらにその翌年の昭和59年に上川管内比布町で借地就農し宅配も開始しました。その後、平成元年には当麻町に転居し、1.5ヘクタールの土地を購入するとともに住宅を建設し、本格的に農場造りを開始しました。
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家族五人で意気揚々と。農業研修生時代のスナップ

■心が折れかけた研修時代、しかし、農への思いが純化されていった

 目指していた営農形態は、農業研修開始当初から少量多品種の有機農業だったのですが、実は旭川市内の研修先が化学肥料農薬多投の大規模営農でしたから、あまりそこでの研修が生きてることはないですね。機械の扱いに習熟したぐらいかな。当時は研修資金制度など無く、また、無報酬なのは研修だから仕方がないのでしょうが、来る日も来る日も大型機械に乗る毎日に心が折れそうになったのは事実ですね。半年で体重が20kgも減ったりして。自分の目指す農業は研修受入先に伝えていたつもりだったのですが…。
 しかし、それで良かったのは、自分の目指していたものと逆方向を向く農業を身を持って体感したことで、自分の目指す営農方向は間違っていないんだと確信できたこと、かえって自分の思いが純化されていったことです。学ぶことが少なくとも悠長なことはやってられない、逆に盗める技術は片っ端から盗んでやるという気概でした。
 研修先を選ぶにあたり、二つの考え方があって、やはり目指すスタイルに近い営農形態の農家に入るというのが近道なのだということ。これはセオリーでしょう。
 いや、そうじゃないんだ、どんな営農形態の農家であっても、まずは身を投じるべきだというのも、もう一つの考え。私は、それでも良い、そこからは本人の問題だと思います。
 そこで何を見るか、何を盗むか。それは本人の感性の問題だと思いますね。実際、たくさんの研修生を受け入れてきましたけど、同じ作業をしていても、受け止め方がそれぞれ違う、視点が違うのです。奥深い農業技術を研修のみで完全にマスターできるわけないのですから、有用なことを短い研修中に獲得できる感性を持ち合わせているか否かなのです。
 そして、技術以前の話として、自分が何をしたいのかという考えと組み立てが熟成されていることが何よりも大切だと思います。それがない人は、どんな良い研修先へ行ってもだめだと思います。
 
■弱点を指摘しない世の中だからこそ、求められるもの

 私自身の出版社でのサラリーマン時代のことですけど、自分で構想を立てて本を作っていくんです。そして、売れなかったら、給料が減らされたりする。要は企画力が勝負なのです。
 こんな本のタイトルだったら、デザインだったら、コピーだったら、広告は、原価を計算するとこれぐらいという風に組み立てていく、その手法はどんな職種でも同じだと思います。
 情報をとること、座学で自分で学ぶこと。さらに、自らの思考を加味して一つの形を作っていく。 それらを続けていくうちに、おぼろげながら自分のやりたい農業が見えてくると思うのです。研修先のところでもお話ししましたが、そういう段階だったら、どこの農場でどんな研修をしても将来の営農に必ず結びつくと思いますね。
 今、私が行っている野菜の宅配も、食卓でどのように並ぶかまでを考えた組合せや、野菜と一緒に届ける通信を使っての調理方法の新提案など、やはりオリジナリティというか企画力が勝負なんです。
 今の若い人は、それができなくなっている人が圧倒的に多い、本に書いてあることや言われたことだけやるマニュアル型の指示待ち人間というやつですね。
 やっぱり、自分の弱点を指摘してくれない世の中になってきているから、自分の中で検証して組み立てていく、企画力というのがますます重要になってきていると思います。
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圃場にて。二つ寄り添い、風にそよぐ馬鈴薯の花

■職・住接近は、就農成功の重要なファクター

 そして、これが無くては農業が始まらないもの、農地ですが、それがなかなか手に入りにくいというのは、今も私の新規就農時代でも同じで、最初の就農地の比布町では自宅(町営住宅)から4km離れた山林原野を借地したものです。そもそも農地の体裁を整えていなかったので地力を上げるためにかなり苦労しました。
 当麻への移住と同時に念願の農地を手に入れましたが、やはりこれも山林を切り開いた国営の農地造成畑だったのですが、ただこの時うれしかったのは、家を圃場の横に新築して職・住が接近したことですね。「清水の舞台から飛び降りる」つもりで借金をして建てた家で、今でも返済が続いてアップアップしているのですが、これは、あたり前のことですけど、大正解でした。
 最近の新規参入者の中には、通って仕事をする人が多いようですね。若い人の感覚だと、自分の世界を守りたいとか、仕事に四六時中支配されない、職場から離れているから気分転換ができるというのがあるんでしょうけど、それって本末転倒だと思うんですよね。
 生き物を扱っているんですから、朝、目が覚めたらハウスが見えて、すぐそこにいける。作物と一緒に生活できるなんて、こんな素晴らしいことはないなと思ったものです。
この地域に根を張るということは、地域のために何ができるのかということとも大きく関連しています。地域活動に参加する。地域を守ってこそ農家という気持ちが私にはありますから、職・住接近は、就農成功の重要なファクターだと思ってます。
 
■私の栽培のこだわり、それは「安心」「安全」「おいしい」

 私の栽培のこだわり、それは有機栽培です。だけど今、その手法は、言葉が一人歩きというより、一人踊りしている。輸入資材なんかに頼って何が有機栽培だという思いもありますから、私自身、本当は使いたくない言葉なんです。けれど、概念としてというか、手の平にのせるように分かりやすい言葉で表すなら、「安心」「安全」「おいしい」を目指しています…かな。その言葉に全て尽きます。
 もう一つ。「有機」と「地域」は同じベースにある言葉だと思います。どちらも共生、共に生きていくということが重要なんですよね。慣行でなきゃ、有機でなきゃと言って双方で批判するのではなく、互いに認め合いながらその栽培技術を発展させていけば、それはそれで良いと思うのです。ケンカしたって何もおもしろくないですよね。栽培方法の理念を声高に叫ぶことより、地域に根ざして共生することが重要だと思います。
 
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消費者との交流風景。「自分を鍛える、学習の場です」

■学びの場でもある「宅配」

 販売についてですが、最初は宅配のみの50軒からスタートしました。新規参入者が珍しい時代だったからでしょうか、新聞記者さんが私を紹介する記事を色々書いてくれた効果で、バブル期のピーク時は120軒になりましたが、今では規模を縮小し40軒ほどになっています。
 また、新規就農2年目から市民生協が取引先に入ってきて、その頃の売上ベースでいくと宅配が60%、市民生協が40%といった感じです。
 今は35%が宅配、市民生協が45%、有機農協は20%と大口が増加してきています。
販売にあたって気を付けていることは、こちらからバイヤーに対し逆提案していくこと、そういう意識を持つことですかね。
 しかし、宅配という形態も一昔前のものになりつつあり、そのニーズも変わってきています。
宅配は団塊の世代が社会的に活躍していた時代がピークだったと思います。これからは逆に下がっていく。それは、現役世代の消費者の数が圧倒的に多かったから隙間商法であっても生きながらえたんですね。
 ところが、これからは大家族もいないということで、消費そのものが減っていく。今の小規模な家庭になっていくと宅配で消費される量は減っていく、それで手間に比べて採算がとれるかということなんです。
 そこらへんは私自身も他人事ではなく、効率化するために取引先をしぼっていくとか、または栽培品目を減らすとかの対処が求められていますね。
 ただ基本は、顔の見える関係、そして、お金の回転が速いというところからいくと宅配は原則的なことだと思います。できれば、大口の出荷とともに、自ら学ぶ場としての宅配を小規模ながら続けていくことが大切だと思っています。
 
■新規就農の成功のため、失敗事例の公開と門戸開放を

 新規就農を成功に導くため行政機関等に求めるのは、成功事例ではなく失敗事例のストックを大切にして欲しいということです。甘い話や夢物語ばかりを就農支援の冊子やホームページに載せたってしょうがないですよね。その失敗事例のデータベースを匿名性を確保した上でオープンにすべきだと思います。
 それともう一つ、少子高齢化で地域そのものの存続があやうくなってきています。いわゆる限界集落ですね。そういう状況の中、農地法のカラミがあるのは分かりますが、限界集落のようなところがあったなら、広く就農希望者に門戸を開く特例措置があってもいいんじゃないかと思います。自治体の自由裁量にまかせて。そんな特別枠があれば農地の流動化も進むんじゃないかと。これは、就農希望者を舞台である農地にあげるシステム作りですね。各種資金なども制度的に門前払いをすることを前提に作られているような気もしますから。
 期間限定付きでもいいから、土地を貸して5年間限定で営農をやらせてみるとか、リミットをはっきり定めた上でやる気がある人間にはチャンスを与えるシステム作りを求めたいですね。
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「振り返れば、チビたちも大きく育っていました」
念願だった一家揃って初の家族旅行

(平成13年・倶知安町にて)

■就農するとは、農村地域の担い手になるということ

 喫茶店をやるのも農業をやるのもすべて同じ、ある程度の資金を貯えて、計画を立てて、それからリスクも踏まえてやるものです。農家は作るということが基本ですけど、それだけではなく作ったものをいかにして売っていくのかまで考えていかないとダメですね。
 そして、最も重要なこと。それは、コミュニティに積極的に参加していくことです。付き合いをひろげていくことですね。残念なことですが、意識的にコミュニティに参加していない若い人もいる。農家住宅が仮のすまいになってはいけない。移住するということは、故郷ができるということですよね。
 当麻に来た時、「我が郷土」という広報紙の名前がとてもインパクトがあって、あぁ、ここが自分の我が郷土になるんだなぁと強く思いました。
 要するに、農業が職業であるだけではなくて、自分がそこで生活する、その上で生計をたてるために農業をやるのだということなんですよね。単に働くだけじゃダメで、この当麻町に住むことを第一に決めてやるものだということです。
 別の例えで言うと、お店屋さんが、商売になるからこの店をこの町で開くというのではなく、この町に住んでいる、だからそこで生計を立てるために物を売ると、農業の場合はこうならなければいけないのだということです。前者の場合、ここでダメなら、売れるところへいけばそれでいいんじゃないかということですよね。それは、あまりにも地域を軽視した考え方です。
 私は農業をやる場所を決めたのでなく、住む場所を決めたのです。子供たちが孫を連れて帰ってくる故郷を決めたということなんですからね。
 そしてもう一つ、自分をさらけ出すこと、やはり、外から入って来た人に対しては、誰だって構えてしまう。はらを見せましょうということ。その上で地域の人を知ることです。就農開始までに、一人でもたくさんの仲間をつくることが大切だと思います。
 
■プロローグ(終章)~「生かされている」という気持ちを大切にしたい

 前の話と繋がることですが、自分だけで農業は出来るかのように勘違いしがちですけれど、実はそうじゃないんだということを就農希望者には伝えたいですね。
 いろんな人と出会う中で助けられている、だから、「生かされている」という気持ちを大切にして欲しいということですね。また、地域の皆に生かされるように、しっかり自分で生きていかなければならないということでもあります。
 それで、特に言いたいのは、中途半端はよくないということ。
 とにかく何事もとことん一生懸命やりなさい、そうすれば困った時も、まわりの人もあなたを見捨てることはない、必ず誰かが助けてくれるということ。それは確信を持って強く思います。
「おじゃまします」と謙虚に言えて、ここに住む人たちに敬意を表し、「お世話になります」という気持ちを持つことが大切なんです。そうして仲間に入れてもらって、頑張る中で「恩返し」をするということですね。若いうちは分かりにくいことだと思いますが、これは、農業者と言うより人として、当たり前すぎるくらい当たり前のことだと思っています。
 こんな私ですが、有機農業にこだわらず、地域と農業を守る後継者を育成することが、つたない自分にできる、その「恩返し」、それが最後の大きな課題だと思ってます。
 
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4歳の孫の莉空(りくう)君

「子や孫たちには、物でなく心を残したいですね」