「二代目デン助さんとのお別れ」(平成29年3月号掲載)

出先の携帯電話に、自宅からのメールが受信されていた。
「自宅に電話してください。東京の恒川さんが亡くなられたそうです。」
34年前、当時JA当麻の係長であった杉本昭一さんと、一村一品で特色あるスイカ生産に取り組んでいた若年生産者が上京されていた。
浅草で一世を風靡した、デン助(大宮敏充さん)の墓前に手を合わせ、その足でご子息である恒川晃さんにお会いし、“でんすけ”のお名前を是非私たちのスイカに付けさせていただきたいとお願いした。
熱い思いが伝わり、恒川晃さんは快く名前の使用をお認めいただいた。
まさに、“でんすけすいか”誕生の瞬間である。
万が一、恒川さんが首を縦に振らなければ、今日のでんすけすいかは無かったのである。
その恒川晃さんの葬儀が、東京都荻窪で執り行われた。
2月12日の通夜 13日の葬儀と、JA田中組合長と共に参列させていただいた。
恒川さんとは町長就任以来のお付き合いであり、生まれた年も近かったこともあって、17年間数多くの思い出を積み重ねることができた。
上京の折々に昼食懇談会をさせていただいたが、夫婦仲の良い恒川さんは、いつも永子夫人もご一緒されていた。
こよなく奥様を愛し、お子様を人一倍大切にされているご様子は、言葉の端々とその笑顔から読み取ることができた。
奥様の強い希望もあり、葬儀で弔辞を申し上げることとなったが、準備の時間が取れず口頭でお別れの言葉を述べさせていただいた。
17年間お付き合いいただいた数々の思い出、でんすけのお名前を付けさせていただいた感謝の気持ち、このご縁を、これからは奥様、息子さんと末永く結ばせていただくことをご霊前に誓った。
最後に、天国の大宮敏充さんへ伝言をお願いし、弔辞を結んだ。
「これからも当麻町は、“でんすけ”をしっかり継承してまいります。でんすけすいかを通じ“デン助”を大切に守ってまいります。」
式も終わり、奥様をはじめ大宮敏充さんの二人の娘さんからも、でんすけすいかのこれからの活躍と感謝の言葉をいただきながら、会場を後にした。
恒川晃さんに再びお会いできない寂しさと、33年のでんすけすいかの歩みを誇りに2日間は過ぎ去った。
ハウスに射し込む光に春を感じながら、田を助ける願いを込めて、でんすけすいかは34年目の出番を待っている。

(平成29年3月号・広報とうま掲載コーナー・第151回随筆)