また昭和の灯が消えていく(平成28年8月号掲載)

昭和の一時代を築かれた3人が、先日旅立たれた。
ザ・ピーナッツの伊藤ユミさん、美しい言葉を連れてラジオの旅を続けた永六輔さん、遊びも文化だと視聴者に強烈なメッセージを残した大橋巨泉さん。
活躍する舞台は違っていたが、昭和の良き時代を演じてくれたお三方である。
“和”のこまどり姉妹、“洋”のザ・ピーナッツと、双子の姉妹はまさに国民のアイドルだった。
当時はカラーテレビのはしりであり、情報通信も今とは隔世の感である。
特に欧米文化が我々に伝わるには、相当時間が必要な時代だった。
ザ・ピーナッツの歌声は、私たちに憧れと希望の種をまいてくれたものである。
永六輔さんの死は誠に残念であり、知恵袋を失った痛ましい気持ちが募っている。
この「町長室の窓から」でも永六輔さんとの思い出を書かせていただいたが、私にとって大切な大好きな文化人であった。
HBCラジオ「永六輔の誰かとどこかで」のファンであり、とりわけ金曜日の「七円の唄」が好きだった。
全国のリスナーが、温かく切ない出来事をはがきに寄せ、永六輔さんがコメントする人気番組だった。
はがきが7円の時代にスタートした番組は、50円になってもかたくなに「七円の唄」を変えることはなか
った。
2010年にパーキンソン病を公表され、歳月の経過とともに舌はもつれるものの、含蓄のある言葉でファンをうならせ続けてこられた。
「生きているということは、誰かに借りをつくること。生きているということは、その借りを返していくこと」「叱ってくれる人がいなくなったら、探してでも見つけなさい」
六輔さんの一言一言が、今になって心に染みてくる。
威張っても怒っても、どこかかわいげがあった大橋巨泉さんは、なぜかみんなに好かれる人だった。
競馬にマージャンにゴルフにと、遊びも文化だと視聴者に語り掛けていた。
我々とは住む世界が違う人だと思いながら、どこか親しみと好かれる魅力を持った人だった。
立て続けにお三方の旅立ちを知らされ、昭和の灯がまた一つ消えていく寂しさに、心が揺さぶられる。
昭和の記憶をとどめておきたい人だった。

(平成28年8月号・広報とうま掲載コーナー・第146回随筆)