何故こんな事件が - 「秋葉原17人殺傷事件」(平成20年7月号掲載)

 全く知らない人を殺害したり、逆に愛おしい我が子に手をかけたり、目を覆いたくなる事件が相次いでいるが、東京秋葉原で17人を殺傷した通り魔の男には、腹立たしさを通り越し、なんとも言えない空しさだけが残った事件であった。
 耳にした瞬間、あまりにも悲惨で大胆な事件だけに、犯人をこれまで追い込んだのは何が原因だったのだろうと、予測される数々が頭の中を駆け巡った。
 時間の経過とともに、男が携帯サイトの掲示板に書き込んだ内容が明らかになっていったが、ごくありふれた悩みの数々であり、拍子抜けしてしまった。
 仕事への不満、将来への不安、親子の関係悪化、そして彼女がいない焦り。とどめは、「誰かがこのサイトを見て、自分を止めてほしかった」。ばかもの。甘ったれるんじゃない!!誰もがそう感じたことと思う。
 生きていくのが嫌になったからといって、無差別に他の人を巻き込む理由は何もない。
 警察の取り調べに発する男の言葉は、悲しみに暮れるご遺族の心に、追い打ちをかける感である。わずか数秒の時間さえずれていれば、叶わなかった無情にやり場のない気持ちで一杯のことと思う。
 昨年、読売新聞の記事は、ニューヨーク市の「9・11」同時テロ追悼式典での、マイケルブルームバーグ市長の述べた哀悼の辞の一節を紹介されていた。
 「親をなくした子どもを孤児という。伴侶をなくした夫を寡夫、妻を寡婦という。子どもをなくした親を呼ぶ言葉はない。『その痛みを言葉で表すことはできないからだ』」と、子どもを失った悲しみの深さを述べられていた。
 親であれ兄弟であれ、その方の宝を失った痛みに、時の昨今、洋の東西はあるまい、と記されていたがまさに同感である。
 理解に苦しむ出来事も多発している。動物を虐待し命を奪う、花壇の花を理由もなくなぎ倒すなど、どこか歯車が狂ってきているようで仕方ない。
 菅野朋子さんの著「好きになってはいけない国」(文芸春秋)の中で、韓国の若者に日本観を聞くと、本のタイトルのような答えが多く返ってくると報じている。心が痛む事件が起きる度に、この本のタイトルを思い出す。
 ある政治家が、「美しい国へ」という書を出された。その副題が ”自信と誇りのもてる日本へ” である。ぜひ、そんな国であり続けることを願っている。