北京オリンピック(平成20年9月号掲載)

 感動と興奮を与えていただいた北京オリンピックも、数々の教訓を残しながら幕を閉じた。
最後の闘いに敗れ、悔し涙の銀銅メダル。重圧から解かれ、ホッとした金メダル。敗れたとはいえ、達成感一杯、笑顔の銀銅。悲願達成、涙色に染まる金。メダルにもいろいろな顔があるオリンピックだが、銀は金より良し、銅は金と同じ、そんな言葉も聞かせていただいた。
 メダル獲得、その瞬間から生活環境も激変した選手の姿もあった。出発は記者2名、メダルを下げての帰国は記者200名。選手の言葉は正直だ。
 メダルには今一歩届かなかったが、大健闘の選手の顔もさわやかで美しい。
 「勝つことではなく、参加することに意義がある」。近代五輪の父、クーベルタン男爵の言葉である。
しかし、私たちが感動と興奮を味わせていただけるのは、見事な勝利の瞬間と、その闘いに立ち向かう姿勢にあることは事実である。
 普段の力を発揮できず、早々と敗退する姿に力を落とし、悲願の勝利には涙し、あと一歩の闘いに惜しみない拍手を送る。選手が流す感激と感謝の涙、テレビの前でうれしさの余り流れ落ちる涙、どの涙も美しく温かい。
 フェンシング、バドミントン、卓球とオリンピック競技の中で今まで放送時間の少なかった種目も、選手の大活躍で十分堪能することができた。
 ただ、オリンピックに異論を申し上げるつもりは毛頭ないが、一つだけ気にかかるのは私だけではないと思う。
 スポーツは、健全な身体と心を育むものと信じているが、出場する選手にケガによる故障者が相次ぐことである。過酷な練習の結果であることは理解できるが、スポーツにより自らの身体を壊す現実をどうとらえたらよいのだろうか。ケガにより出場を断念した人の無念はいかばかりだろう。
 北京という祭りは終わり、ロンドンへ向けてスタートが切られた。北京で活躍した選手も、すでに4年後に向けて練習を開始したと聞く。
 「本当にベストだったと思うためには、自分のみならず相手のベストも必要だ」。あるスポーツ誌で語ったイチロー選手の言葉が心に残る。
 聖火の余韻を残しながら、役場前の懸垂幕は誇らしく秋風に棚引いている。

 ”金メダルおめでとう上野雅恵選手” 感動をありがとう……。

(平成20年9月号・広報とうま掲載コーナー・第67回随筆)