倉本聰さん 「昨日・今日・明日、悲別で」で問うもの(平成25年3月号掲載)

 倉本聰さんの魂がこもった「明日、悲別で」の全国公演が、1月10日から始まっている。
 昨年、町文化連盟の主催行事に私も参加し、富良野で「明日、悲別で」を観劇する機会をいただいた。7月7日、富良野演劇工場でのあの感動が、全国のステージで渦巻いていることは想像に難くない。
 昭和59年、STVテレビで「昨日、悲別で」が放映された。国のエネルギー政策に振り廻された、北海道の架空の炭鉱の町、悲別を舞台に、その町で生きる若者の人生を、生きることの辛さ、愛おしさを我々に伝えてくれた。
 平成2年には、閉山によってうらびれていく炭鉱の町の悲しい風景をもとに、「今日、悲別で」という舞台を創りあげた。そして20年後、福島第一原発事故は、倉本聰さんを「明日、悲別」という、国民へのメッセージステージとして、三度舞台制作にかきたてた。
 国のエネルギー政策が、石炭から石油、そして原子力へと大きく転換されていく。福島・いわき市は、かつて常磐炭鉱として日本のエネルギーを大きく支えてきた。その後、原発の創設により、いわき市は新しいエネルギーの基地へと変ぼうしていく。そこへ想定外という言葉だけでは片付けられない、地震・津波という天災に起因する人災原発事故により、何万人もの人が故郷を失ってしまった。
 「昨日・今日・明日、悲別で」という舞台を通じ、倉本聰さんは私たちに次のメッセージを寄せ、日本の将来を案じている。
 『日本人は代替エネルギーではなく、自分の体内のエネルギーに頼っていくべきだ。1960年代、子供たちは午後8時には寝ていたが、いまでは午前零時を廻っても起きている子供がいる。テレビは24時間放送する必要あるのか、自動販売機はあんなに必要なのか。1970年代の暮らしに戻すだけで、現在の5分の2の電力使用量で済むんです。世界の中でも、日本人の電力使用量は突出して多いことを自覚すべきです。もう一つは、少しだけ貧しい昔に戻ること。便利さを少し捨てられるかどうかです』と語りかけている。
 原発に頼ることのできない今、倉本さんのメッセージをどう受け留めて私たちは歩んで行くべきか、問われている。

(平成25年3月号・広報とうま掲載コーナー・第111回随筆)