「無趣味が趣味という理由(わけ)」(平成25年5月号掲載)

 町長就任以来、マスコミの方々から町長の趣味は何ですかとよく聞かれる。問われる度に、私は無趣味と答えてきた。
 趣味と言えるほど真剣に打ち込んでいるものが無いのでそう答えてきたが、実は極めて底の浅い多趣味人間である。何ごとにも興味を示すタイプなので、趣味と言えるかどうか今でも自己判断できないでいる。
 学生時代、あれほど打ち込んでいたバドミントンは、体力が続かない事とケガが心配で、すっかり遠ざかってしまった。公務は土日を許さず、ゴルフクラブは10年来物置の片角で眠ったままである。
 反面、スポーツ観戦はジャンルを問わず、嫌いなものはない。観戦スタイルは激情型であり、熱戦には鳥肌が立つほど力が入ってしまう。プロ野球は取り分けジャイアンツ党。勝利の戦いは、どんなに大差がつこうと最後まで見届け、逆に敗戦色濃い試合では、途中でチャンネルを切り替えてしまう。だからプロ野球ファンではなく、単なるジャイアンツファンなのである。
 音楽鑑賞もいい。青春時代はフォーク一辺倒であったが、その幅はニューミュージックから演歌まで広まってしまった。あわただしい生活を離れ、時おり訪れるコンサートも楽しみの一つ。幕が上がる瞬間の胸の高鳴りは、いまだ青春の呼び戻しである。
 還暦を境にカラオケの世界を知ったが、当然他人(ひと)に聴かせるほどの域には達していない。
 好みの土地を訪ね歩く旅は、新たな世界へ導いてくれ、古くて新しい風景といい湯は心をいやし、おいしい食べ物は明日への英気を養ってくれる。当分の間、旅とはすっかり疎遠になっているが、仕方ないとあきらめている。
 ブラリ本屋を訪ね、あてもなく本を探し求める時間が大好きだ。心の中がとても豊かになる空間がある。我が家の本棚には、時間ができたら読み返してみたい本が、先を競って並んでいる。
 絵や書を見てまわる時は、気持ちが和む。自分もこんな絵が画(か)けたら、こんな字が書けたらと、届かぬ夢に想いをはせる。孫と遊ぶ時間は最も楽しみの一(ひと)時であるが、最近ではもっぱら孫に遊ばれている感じである。
 思いつくままにペンを走らせてみたが、興味ばかりが先走りやはり趣味と言えるほどのものは無い事に気づく。だから、私の趣味は結局無趣味にたどり着いてしまう。

(平成25年5月号・広報とうま掲載コーナー・第113回随筆)