永六輔の誰かとどこかで七円の唄(平成25年10月号掲載)

 私が「誰かとどこかで」(HBCラジオ)に出会ったのは、30代の頃だったと思う。
 絶妙なコンビの永六輔さんと遠藤泰子さん、スポンサーの桃屋さんを含めて、なんともいえない味を醸(かも)し出していた。そんな番組も、永さんの体調不良により、9月27日を持って惜しまれながら終了した。
 46年間で、12、629回(毎週月~金曜日の放送)続いた最長寿番組の幕引きである。町長就任前、車を運転する機会が多かったので「誰かとどこかで」をよく聴いていた。中でも“七円の唄”のコーナーは特に好きだった。
 リスナーから届いた日常の悲喜(ひき)こもごものお便りを、永さんと遠藤さんが交互に読み、コメントは永さんがされていた。病気により永さんのろれつが回らなくなってからは、専ら遠藤さんがお便りを紹介し永さんがコメントを付け加えていた。
 “七円の唄”が示す通り、スタート当時ハガキの価格は七円であった。46年の歳月は、この国の文化や環境がどんどん崩れていく中、「誰かとどこかで」は何もかわることなく、かたくなに日本の姿を守り続けてきた。
 2010年、永さんはパーキンソン病と診断され、車椅子を使ってラジオの仕事を続けてきたが、体調の悪い日は字が読めなかったり、ろれつが回らない時もあったと話されている。昨年亡くなった、友人で俳優の小沢昭一さんから「雑音になってもいいからラジオだけはやめるな」と励まされていたが、「痛々しいから休んで」という声も寄せられていた。
 永さんが、今年2月に出版された「無名人のひとりごと」の中で、こんなことを書かれている。
「出来なかったことが出来るようになって、赤ちゃんがオトナになる。オトナになって年をとると出来たことが出来なくなって、赤ちゃんのようになる。それだけの話しです。年をトルといいますが、年がヘルんです。」
 私は、4度ほど永六輔さんのお話しを聴く機会に恵まれたが、当麻町にお越しいただいてから、その存在はより身近なものになっている。
 ラジオでのお別れの日、“永六輔の誰かとどこかで七円の唄”(株式会社TBSサービス)を購入し、この本と共に思い出を心の中に残しておくことにした。

(平成25年10月号・広報とうま掲載コーナー・第118回随筆)