たくさんの思い出とともに「町長室の窓」を閉めます(令和2年2月号掲載)

ほとばしる情熱と少しの不安を心に絡ませながら、職員の拍手で迎えていただいてから20年。
大きなうねりの中での町の運営、町民の幸せ向上のため全力で走り続けてきた。その壁が厚ければ厚いほどやりがいがあったし、高ければ高いほど乗り越えた時の達成感は大きかった。20年間を振り返ると、思い出されるのは楽しい場面ばかりであり、苦しかったことは不思議に遠い過去の出来事としか映ってこない。
職員にとっては随分厳しい町長であったことは自覚している。朝早くから登庁し、一度言いだすと自分の意志を曲げることはなく、良く言えば強いリーダーシップ(俗に我が強いともいう)は、時々反省するものの20年間で直すことはできなかった。不満もたくさんあったことと思うが、ついてきてくれた職員に紙面を借りて心から感謝申し上げたい。
行財政改革と市町村合併との戦いの前半であったが、翻って後半は、産業の振興・子育て支援などを通じ、「食育・木育・花育」という“心を育むまちづくり”につなげられたことは誠にうれしいことであった。
就任早々、財政状況の厳しさに驚き血のにじむような改革のスタートであった。コピー用紙の厚さまで目を配り徹底した財政改革にも手を付け、節約が至上命令の役場内部であった。私の報酬も大鉈を振るわせていただいたが、とうとう元の報酬に戻ることなくこの日を迎えている。18人を有していた議員定数も現在では10人となり、議会も改革の歩調を合わせ、少数精鋭でまちづくりに励んでいただいている。
20年間、子どもたちとともに歩んできたまちづくりでもあった。
幼児への誕生日ごとの絵本とバラの贈呈(後年、小中学生まで誕生日の本の贈呈に拡大)、小中学生の修学旅行費全額助成、同じく入通院費の無償化、中学生が学習机を自ら組み立て3年間利用する「ふるさと思い出机製作事業」(卒業時に天板をプレゼント)、高校生には3年間15万円支援の「はばたけふるさと応援事業」など、限られた予算の中ではあったが一つ一つが“心を育む”応援事業であった。
全国初の取り組みであった農林業合同事務所。開設までの苦労が大きかっただけに、スタート時の喜びはひとしおのものがあった。事務所引っ越し時に、農業生産者の皆さまが喜びの気持ちを爆発され、JA組合長と私を大ホールで胴上げしていただいた。あの時背中に受けた生産者の皆さまの手の温もりを、忘れることはない。
近年、新規開業のお店が増えていることはありがたく、人口も社会増(転出者よりも転入者が増)に転じていることはうれしいことである。
このコーナーは、「感謝と誓いの祝賀会」がスタートであった。当麻米が全道一の評価をいただき、記念の祝賀会、生産者への感謝と喜びをテーマにした内容であった。
退任を間近に控えた1月29日、役場新庁舎「北海道赤レンガ建築賞」の受賞祝賀会が開催された。公共・民間を問わず一年間道内で施工された建築物の審査を行い、北海道が認めてくれたナンバー1が赤レンガ建築賞である。
感謝と誓いの祝賀会でこのコーナーが始まり、赤レンガ賞受賞祝賀会をもって私の務めの終わりを遂げることにうれしい縁を感じる。

数々の思い出とともに、私は役場を去ります。窓から射し込む陽光も心なしか和らいできている。
ふる里当麻町が、いつまでも穏やかな町であり続けることを願い今、「町長室の窓」を閉めます。
数々の思いを伝えてくれたペンを静かに置きます。“ありがとう”の感謝の気持ちを込めて…。 (完)
令和二年一月三十一日記 菊川健一

(令和2年2月号・広報とうま掲載コーナー・第180回随筆)