126年目の開町記念の日(平成30年6月号掲載)

 全国17の県から、西兵村に200戸、東兵村に200戸の屯田兵が、未開の大地に開拓の鍬を下ろされて126年目を迎えた当麻町。
入植された5月10日を記念の日と定め、毎年開町記念式典を挙行させていただいている。
 天気の様子を見て、開拓記念碑前か公民館まとまーるでの開催であるが、本年は低温のため屋内行事とさせていただいた。
 参列者170人の皆さまとともに、筆舌に尽くせぬ開拓のご苦労に、感謝の誠を捧げた時間であった。
 屯田兵が当麻に入植される4年前、明治22年9月に当時北海道開拓長官を勤めていた永山武四郎将軍は、伊香牛の将軍山に登り、永山・東旭川・当麻の地に兵村設置の構想を練られたと伝えられる。
 山頂から果てしなく原生林が広がる大地を望み、やがてこの地が農業として発展することを夢見ていたことと思う。三兵村に入植された屯田兵のほとんどが、農業経験者であることにその思いが読み取れる。
 将軍山の山頂に立つ石碑には、「史跡 明治二十二年九月永山将軍此山ニ登リ展望シ眼下ノ平野ニ永山東旭川当麻ノ三兵村ヲ置クコトニ決定セル由緒ノ地也以来将軍山ト呼称ス」と、刻まれている。
 明治26年、船で小樽に上陸し、貨車で現在の砂川市に渡り、そこから4~5日かけて徒歩で当麻の地に入られた。
 遠く九州から小樽にたどり着くには、途中数カ所での寄港もあり、10日程の日数を要した。今日の立派な客船があったわけでもなく、荒波にもまれ途中で命を落とされた方、また子どもが生まれた方など、苦難の船旅だったと書物に記されている。
 今日、当麻町は永山将軍が夢見た北海道一の優良米産地として発展しているが、屯田兵と家族の皆さまの血のにじむようなご苦労、兵人各位の努力研さんの歴史があったことは申すまでもない。開拓記念式典は、そんな感謝の思いに浸るひとときである。
 式の結びに、当麻中学校3年生を代表して菅井優斗君が、「未来への言葉」を述べていただいた。
 「当麻町で学べることに感謝し、やがて当麻を離れる身になっても、決してこの町で育ち学んだことを忘れることはない」、町民への感謝と決意の言葉に胸が熱くなる。
 今年の記念日は、平年より一足早く桜の花も満開であった。126年前屯田兵家族の皆さまは、親威知人と別れを告げ郷里の風景を胸に刻みながら、この地でどんな気持ちでこの桜を眺めていたのだろうか。
 そんな思いに駆られる5月10日である。


(平成30年6月号・広報とうま掲載コーナー・第164回随筆)